▶ 寄進者の刻印
・尾張国海西郡八輪村大字江西
・神野悦三郎(寄進は35歳になる年)
▶ 家系
・神野悦蔵の長男として万延元年(1860)に江西で生まれる
・父の悦蔵は初代金之助の父の七代金平の弟(次男)で江西で分家している
・悦三郎が5歳の時、悦蔵が亡くなり、本家で育ち初代金之助らと一緒に暮らす
・明治32年頃、名古屋市八百屋町に家を持ち一家が定住したが、悦三郎は六軒分店に在勤
・後日、名古屋市鍛冶屋町4丁目に新築移転したが、悦三郎は六軒分店に在勤
・大正5年(1916)5月27日、54歳で亡くなる
▶ 仕事
・12歳(明治4年)頃に伊勢松坂の分店で働き始める
・明治20年、六軒分店で主任となる
・神野新田に関しては支配人の肩書を持つが、メインは三重県の管理であった
(神野新田については神野三郎が全てを取りまとめた)
▶ 山田銀行の取締役
・山田銀行は、三重県宇治山田町(現伊勢市)に設立された明治期から大正期の銀行であった
・参宮鉄道などを開業した、伊勢の実業家である太田小三郎らによって1894年(明治27年)に設立
・その後近隣の銀行を合併するも、1919年(大正8年)四日市銀行(現・三十三銀行)に合併された
▶ 安濃鉄道の監査役
・安濃鉄道(あのうてつどう)とは、かつて三重県津市と同県河芸郡椋本村(現在の津市芸濃町椋本)を
結ぶ鉄道路線を運営していた会社である
・他の鉄道路線とは接続していない孤立路線であった
▶ 神野悦三郎は大正5年5月27日に亡くなる
▶ 神野悦三郎宅(観音様寄進時は江西)の地図
・当時の観音様の刻印の「尾張国海西郡八輪村大字江西」は、現在の「愛知県愛西市江西町」
・赤い枠内が江西だが、父の悦藏が江西で分家となったとあるが具体的な場所までは分からない
・31番観音寄進者の「神野清児」も同じ「江西」
▶ 三重県総合博物館所蔵資料検索データベースより引用
・神野悦三郎の情報は担当している三重分が膨大なので、神野新田(吉田新田・牟呂新田・三河新田とも
呼ばれていた)の情報だけを抽出した