海岸復興之碑

 ・20番観音様と21番観音様の間の東側の内川にあり、建立は昭和39年です

 ・ここの陸地は締切った堤防の補強で投入した土砂で、地盤安定化のため松が植えられました


▶ 昭和39年の建立直後の写真


▶ 昭和48年の撮影


▶ 昭和56年の撮影


碑文(表)


碑文(裏)


碑文(裏)の文字起こし

昭和28年9月25日の夕刻、折柄の秋分大潮の満潮時に台風13号は異常高潮となって襲来し、明治27年築造以来その規模の雄大を誇っていたわが神野新提防も遂に破堤し一千町歩の美田と五百戸に近い往家を海中に没せしめたのであ。けだし明治22年9月のそれに匹敵する実に60年振の大災害として忘れ難い。この未曾有の大災害に直面するや、愛知県に於いては直ちに応急工事を実施し災害復旧計画を樹立し国の特別立法を支柱として本格的海岸堤防復興に当った。関係者必死の努力と機械力の駆使によって遂に今日の大堤防の完成をみたのである。その間伊勢湾台風の来襲を挟んで実に10年、茲に海岸堤防復興の碑を破堤現地に建てこの大災害とその復興を後世に伝えるものである。因に被災状況と復興の概要次の通りである。

一.被災状況

   欠漬口  73メートル

   水深    (マイナス》9メートル

   最大流速 5メートル/sec

一.復興概要

        総延長  11,521.3メートル

   事業資 13億4百万余円

       豊橋市長  河合陸郎選文

 昭和9年4月

          神野新田土地改良区



堤防決壊と浸水り状況

決壊部の上(西)に碑が立てられた

上がサノ割、下が二回