18番:六角堂 頂法寺(浅野甚七、レイ)

▶ 寄進者の刻印(最終確認版)

 ・尾張国名古屋市鉄砲町

 ・浅野甚七・レイ(初代甚七の妻は"ふさ"なので"レイ"は母親か?)


▶ 神富殖産との関係(初代)

 ・浅野甚七は1839年(天保10) 5月12日に、美濃中島郡舟橋村の農民甚左衛門の長男として生まれた

 ・12歳のころから紅葉屋に奉公に、その後3歳上の小吉が15歳で紅葉屋の養嗣子となる

 ・紅葉屋を譲られる1876 年(明治9)まで27、8年間、鹿助および重政のもとで勤めあげた

 ・子供の孝造が富田家に婿に入り、分家し富田一族として活動する

 ・初代甚七の孫の花子が神野三郎の長男太郎の妻となる等、神野家と富田家の関係は深い


▶ 若いころの初代浅野甚七

 ・順列は三代富田重助、浅野甚七、渡邊長三郎となるはず、キセルを加えているのが甚七で重助との間で

  後ろに立っているのが長三郎と思われる

 ・明治9年に重助が亡くなると、洋反物は甚七に、洋小間物は長三郎に譲られたとある


▶ 初代の人事興信録

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 ・朱記で間違いを修正、奥さんの情報も3代重助の妻で4代重助の母が「ふさ」である

 ・観音様刻印の「レイ」が初代浅野甚七の奥さんだと思われる


▶ 二代の商工会議所名簿

 ・2代目の情報には母親の名が出てこない



▶ 浅野甚七(紅葉屋)宅地図

 ・観音様寄進当時の明治28年の紅葉屋があった鉄砲町、浅野甚七は対面で紅葉屋を継承

 ・場所は地図中心の「名古屋市科学館」右上の「イトマス駐車場」の辺り


▶ 三重県総合博物館所蔵資料検索データベースより引用

 ・膨大な情報件数なので割愛する