2番:金剛宝寺(浅見鉦太郎)

▶ 寄進者の刻印(最終確認版)

 ・尾張国名古屋市門前町

 ・淺見鉦太郎


▶ 家族など

 ・生年月日他情報は見つかっていないが、神富殖産とは明治16年頃よりやり取りがある、

 ・初代金之助の姉「ゑい」の夫の「竹田晨正」とは書籍の出版で付き合いはあった


▶ 神富殖産との関係

・浅見文昌堂で書籍の発行と販売、自ら本も書いている

 

・明治29年の神野新田完工式に来賓として招待されて  いる

 

・明治30年の圓龍寺の鐘楼完成式にも招待されている

 が、辞退している



▶ 仕事

 ・浅見文昌堂は出版社で名古屋市中区門前町に在った

 ・神野三郎の父の竹田晨正の書籍「百人一首一夕話」や自身の書籍も発行販売している


▶ 大正11年時点の資産

 ・ここをクリックするとソースにリンクします

 ・浅見鉦太郎はリンク先の67ページ(コマ番号50)にいます

 ・1位は松坂屋の伊藤、2位は「初代金之助」、9位は「四代重助」で豊田佐吉よりも上にいます

 ・浅見と富田の間は上位から後藤増平、大三輪奈良太郎、浅野甚七、上遠野富之助がランクイン


▶ 明治27年の書籍から


▶ 書籍販売発行の一例

 ・竹田晨正が標註した「百人一首一夕話」

 ・ここをクリックすると書籍の巻末(浅見文昌堂)へリンクします


▶ 自身が作成の書籍


▶ 2番観音寄進者の淺見鉦太郎と子供


▶ 淺見鉦太郎宅の地図

 ・赤い枠内が門前町だが、店の「浅見文昌堂」は現在は無いようである


▶ 三重県総合博物館所蔵資料検索データベースより引用