▶ 寄進者の刻印(最終確認版)
・尾張国名古屋市鉄砲町
・神野金平
▶ 家族(妻)
・文化8年(1811)12月生まれ
・天保6年、同じ江西村の三輪茂八の娘「マツ」と結婚
▶ 家族(兄弟)
・兄弟は次男が「悦蔵」で分家に、3男が藤ヶ瀬の宮原家に養子に入った「文吾」、4男が一志郡の川口家に
養子に入った「岩次郎」で、妹は名前他情報無し
・神野悦藏の子が「悦三郎」、宮原文吾の子が「惟義」、川口岩次郎の子が「志ま」
▶ 家族(子供)
・子供は5男1女で次男から4男は早世、長男は「小吉」、5男は「岸郎」、長女は「ゑい」
・「小吉」は紅葉屋に養子となりで後の3代富田重助で、子は吉太郎(4代重助)
・5男「岸郎」が後の初代金之助で神野家を継ぐ、子は重孝(2代金之助)、すず、あさ、りき
・長女「ゑい」は清州の竹田晨正の妻、その長男が、武田鋹太郎、3男が神野三郎、ほか
▶ 家族(叔父)
・七代金平の叔父(次男)の佐重郎は分家し、孫が「清児」
・七代金平の叔父(3男)の藤兵は高須藩執政の田中氏の養子となる、子が「春城」
▶ 3代富田重助のサポート
・初代重助鹿助が亡くなり、小吉が18歳で3代重助となり紅葉屋の当主となる
・父金平42歳が3代重助の後見となり、洋物商へ移行していくことになる
▶ 神野金平宅の地図
・観音様寄進当時の明治28年の紅葉屋があった鉄砲町、浅野甚七は対面で紅葉屋を継承
・場所は地図中心の「名古屋市科学館」右上の「イトマス駐車場」の辺り
・23番観音寄進者の「神野三郎」も同じ住所だが、豊橋への移転届が遅かったので
▶ 三重県総合博物館所蔵資料検索データベースより引用
・七代神野金平の正式名は神野金平重連
・金平で検索すると500件以上と膨大なので割愛、重連だと少ないので下記に掲載した