▶ 寄進者の刻印(最終確認版)
・伊勢国三重郡菰野村大字菰野
・山村作左衛門
▶ 家族など
・生年月日他情報は見つかっていない
・観音様の刻印の住所は菰野となっいるので、菰野が実家で渡会は単身赴任していたと推測する
▶ 神富殖産との関係
・明治3年に製糸業に着手し、明治11年頃に菰野村の製糸場を軌道に乗せた
・明治18年、経営不振で製糸場を閉鎖し、岐阜県の製糸改良巡回教師となる
・明治19年、三重県に戻り養蚕巡回教師や度会郡製糸伝習場現業長に就いた
・明治23年に伝習場が神富殖産の渡会製糸場になると主任として活躍した
▶ 三重県のホームページから
▶ 山村作左衛門宅の地図
・菰野村の出身の様で、菰野村で製糸会社を興し軌道に乗ったが経営悪化で閉鎖した
・その後、度会郡製糸伝習場現業長になり、神富殖産会社の度会製糸場に買収されたされ、主任となった
・家は菰野に残して渡会には単身赴任していたと思われる
▶ 神富殖産渡会製糸場の地図
・ここをクリックすると、製糸伝習場が作られた「勧業試験場(明野試験場)」にページにリンク
・具体的な場所が分からないので、「明野駅」を目印とした
▶ 三重県総合博物館所蔵資料検索データベースより引用
・製糸場の業務だけではなく三重の管理もあり、情報が膨大なので割愛する
▶ その他