9番:南円堂(桐山可造)

▶ 寄進者の刻印(最終確認版)

 ・摂津国大阪市北区堂島裏町

 ・桐山可造


▶ 神富殖産との関係

 ・品川弥二郎や服部長七との親交から神野金之助との親交につながった

 ・従業員ではないと思うが、神野本店(神富殖産)の従業員と思われるような仕事をしている



▶ 日本現今人名辞典 訂正3版


大呉市民史. 明治篇から(桐山可造の解説)

 ・服部長七と仕事を一緒にしている

 ・ここをクリックで下の画像のページ(昭和18年の書籍)にリンク

 ・伊勢の桐山家に養嗣子となったとあるが、観音様刻印が大阪であることから大阪の桐山家と思われる


▶ 人事興信録

 ・こちらの2つの資料は大阪の桐山家に入ったとある(観音様の刻印と合致する)

 ・ここをクリックすると下の左画像のページにリンクします

 ・東京瓦斯工業監査役で品川弥二郎と、宇品港の関係で服部長七と親交があった

 ・ここをクリックで下の右画像のページにリンク

 ・大正6年6月に現役(広島呉電力取締役)で亡くなる


▶ 桐山可造と広島呉電力・取締役との関係(明治43年~大正6年)

 ・昭和9年、広島電気沿革史 : 広島電気沿革史姉妹篇感想録共 より

 ・渋沢栄一の相談役時代と可造の取締時期が重複している


▶ 呉公論

 ・廣島呉電力の取締役前は呉公論の社長


▶ 明治40年、呉公論の社長になる

 ・下の画像は右から左の順です

 ・ここをクリックで、下の画像のページにリンク


▶ 桐山可造宅地図

 ・地図中心の赤枠部が堂島ですで、観音様寄進時の明治28年は堂島に住んでいた


▶ 三重県総合博物館所蔵資料検索データベースより引用

 ・下の1行目の明治8年は間違いだと推測、まだこの時点では付き合いはあり得ない